昨日、歯科受診で診てもらったところ、歯科医師より『治りが早いですね』と御言葉を頂きました(〃'▽'〃)
腫れ上がっていた頬も引いてきてるので、順調に回復しているようで安心してます。
おやしらずを抜いて縫ったところは早ければ金曜日にも抜歯する予定ということです。
こうづま 和弘 活動ブログ
皆さん、こん☆★わぁ〜こうづま 和弘です(*゚▽゚)ノ
今日もおやしらずを抜いたところの消毒へ行ってきました。
抜いたところの疼くような痛みはまだありますが、顔が思った以上に腫れ上がってしまいました。
食欲はあまり食べたいと思わず、何も食べないで済むなら良いのですが、そうもいきませんね(-。-;)
そんな時、自分の中で、食べたいものがありました。 ある尊敬している方が作ったお粥です。
一時は、精神的にも体力的にも体調があまりに弱っていた時に作ってくれたお粥を頂いて復活したのが、お粥です。
何か違う味がするお粥ですが、何かと言われても言葉では言い表せない。 不思議とこのお粥を食べると、自然と体中が暖かくなってくるのです。
このお粥は、美味しいとか美味いという言葉では言い表せないくらい、今の自分にとってこのお粥は特効薬です。
皆さん、こん☆★わぁ〜こうづま 和弘です( -д-)
ついに今日、おやしらずを2時間半近くかけてようやく抜きました。 10時半の予約で向かった歯科医院。
おやしらずを抜くために道具の準備が進んでいました。
おやしらずの位置などを正確に知るべく、レントゲンを撮りました。
その後、おやしらずを抜く手術が始まりました。
麻酔をかけてから口腔内をきれいにする作業を行いました。
全体的に消毒をしてきれいになった状態で手術開始。
麻酔をしてはいましたが、ぐいぐいと動かされるおやしらずですが、押されたり、削られたりの連続でした。
受けること2時間半、ようやく抜けたそうですが、思った以上に苦戦していたようです。
医師の説明によれば、おやしらずは今までのおやしらずとは違い、横たわるように歯茎の中で埋っていた状態でレントゲンにもはっきりと映っていました。
とりあえず、終わった後は、お薬を頂き真っ直ぐに帰宅して、お薬を服用した後、休みました。
とにかく、腫れが引くことなく、ぷッくらと腫れあがっています。
当分は、休む時間が大切な様です。
1986年4月26日、チェルノブイリ原発事故発生。
その事故により広く周囲に大量に撒き散らされた放射能。
それは、その後この地に生まれた子どもたちに大きな影響を与え、心臓に重度の障害を負った子どもたちが増大した。チェルノブイリ原発事故の影響で、生まれながらに心臓に重度の障害がある子どもたちのことを「チェルノブイリ・ハート」と呼ぶ。
マリアン・デレオ監督はチェルノブイリ事故から16年後の2002年にべラル―シに入った。「ホットスポット」の村を離れようとしない村民たち、病院、孤児施設、学校等、被曝が次世代を冒す被害を取材した。
事故後に生まれた10代の若者たちの甲状腺がん発生率は30〜40%。放射能による被害は、生まれて来る幼児にも襲いかかり、障害児が生まれる可能性が高まる現実があった。
続いてチェルノブイリから3キロ地点にあるプリピャチの青年と故郷を訪ねる。セシウム137とプラトニウムに汚染され、人間が再び住めるまで何百年もかかる場所だ。
4万8千人の「原発事故難民」の一人、避難時10歳だった少年は青年となり、廃虚となったアパートの部屋に入る。
色あせた1986年4月のカレンダーを見つめながら、窓から見える生まれ故郷の荒廃ぶりを眺める。
「近親者の10人ががんで死んだ。放射能と無関係と言われる話を、誰が信じると思う? オレもそうやって死ぬんだ。とんだ犬死だろ」 青年は、その1年後、病死した。
◆チェルノブイリ原発事故が何故起きたのか?
チェルノブイリ原発事故は、1986年4月26日午前1時23分、ソビエト連邦(現在のウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた。
4号炉は炉心溶解(メルトダウン)ののち爆発し、放射性降下物がウクライナ、白ロシア(現在のベラルーシ)、ロシア等を汚染した。
のちに決められた国際原子力事象評価尺度(INES)において、最悪レベルの7であった。事故後のソ連政府の対応の遅れもあり、被害は拡大、史上最悪の原発事故となった。
原発から北東に向かって約350キロの範囲内には「ホットスポット」と呼ばれる局地的な高濃度汚染地域が約100か所に渡って点在し、「ホットスポット」内においては農業や畜産業が全面的に禁止されている。
皆さん、こん☆★わぁ〜こうづま 和弘です。
10月1日〜12月31日は、赤い羽根共同募金運動期間です。
1947【昭和22】年11月22日に「国民助け合い共同募金運動」として開始された。
第1回の募金額は約6億円だった。
中央共同募金会と各都道府県の共同募金会が実施し、募金者には赤い羽根が渡される。
『共同募金』とは、社会福祉事業等への寄附金を公衆から募集することで、スイスの山村の牧師が路傍に木箱(チェスト)を置き、富者はお金を入れ貧者はこれを引き出すようにしたのが起源である。
赤い羽根共同募金で寄付されたお金は、高齢者・障害者・子どもたちへの地域福祉活動を支援すると共に災害時では、『災害ボランティアセンター』の設置や運営などに役立っています。
色んな仕組みで募金が出来る【赤い羽根共同募金】にご協力下さい。
詳しくは、ホームページをご覧ください。赤い羽根クリック
ヅマット
上妻 和弘【こうづま かずひろ】
ペンネーム:ヅマット・カズ・ヒロ・ヅマちゃん
生年月日:1983年3月千葉県市原市生まれ
元市原市不法投棄監視委員(2期)いちはら八幡宿コミュニティー代表
いちはら市民ネットワークで5年間活動し、内1年間運営委員として携りました。
橋本勉前衆議院議員秘書を経て三井みわこ千葉市議会議員(中央区選出)後援会青年部長。
介護事務技能管理士を取得【2013年】
介護福祉士国家資格取得【2016年】
介護支援専門員実務研修受講試験に合格!!
家族構成:一人暮らしで亀2匹と暮らす。
趣味:切手硬貨紙幣の収集・散歩・ペットを飼う・ボランティア活動!今では、ボランティアから市民活動へ
詳しくは『ヅマ〜ットなプロフィール体験記』にクリック☆
☆誰もが安心に支えて暮らせる社会へ全力投球☆
活動域は:市原市・千葉市を中心とする県内外の活動地域